how to make "me"

「ちょっと変な人」 といわれ続けること、30年。私を知ってもらうためのツールとして、また、自らの記憶に対する備忘録として、ちょっと詳しめの、経歴を書いてみました。(13/12/16更新)

1983年~(昭和58年) 【内向的な幼少時代】

しょう油の街、千葉県野田市に生を受ける。両親は共にしょう油会社に勤務していた。そのせいか、塩っけの強い料理が大好きに。今にも増して体が弱かった幼少時代、扁桃腺を腫らして、よく入院をしていた。最近祖母に聞いた話によると、お見舞いに来た祖母に、入院先の病棟の子供が言ったそうだ。「あいつ、すっごく変わったやつだよ。本ばっかり読んでて、全然俺らと遊ばないんだもん。」内向的な性格は、昔からのようだ。

1990年~(平成2年) 【外遊び、習い事、ライバル意識】

野田市立福田第一小学校に入学。1-2年生:自然豊かな環境の中、虫取りなど「子供の仕事」に没頭。カブトムシ、トンボ、ザリガニ、等、あらゆる虫を取りまくる。当時はまだ地元の小学生通しの学年横断的な繋がりも強く、いわゆる『ガキ大将』的な先輩と一緒にみんなで登校し、放課後は公民館でキックベースをするのが日課だった。今では信じられないくらい、外で遊ぶ時間が長かった。3-4年生:書道、水泳、英会話、エレクトーンと、習い事三昧。教育熱心な両親が本領を発揮した時期、とも言える。書道は、日展にも作品を出すような、増田山鄷先生に習う。いまでも筆を持つと心が安らぐ気がするのはこの人のお陰。お手本の模写はとても上手に書けたが、「自由に書いてみろ」と言われると全く書けない。当時から「ものまね」好きで「独創」が苦手だった。親が口うるさいことを言ってきた時に、「親だからって常に正しいとは限らないでしょ」という可愛気のない発言をするようになったのも、この頃。5-6年生:英会話先の先生に進められて、すべての習い事を止める。代わりに、隣町の中学受験向けの進学塾「明生」に通い始める。小学生のクセに午前0時まで塾で勉強したり、頭に「合格」ハチマキを巻いて、掛け声とかやったり。今思うとぞっとするような、子供離れした毎日を過ごしていた。受験という共通の目的の元で皆で時間を過ごしていくうち、「あいつはきっと頑張ってるから、絶対に負けたくない。」という、健全なライバル意識を塾友達に抱くようになる。信頼や尊敬、嫉妬が絶妙にブレンドされた心地よい感情。これは今でも自分の「友達感」の根幹となっている。

1996年(平成8年) 【別れと出会い】

私立巣鴨中学校に進学。周りのみんなが地元の中学校に進学するのに、学年で自分ひとりだけ、東京の私立中学校。片道2時間もかかる満員電車での通学の中、どうしようもない「独りぼっち感」を味わう。も、少しずつ友達も増え、中学生活を満喫するように。深夜の峠越えや、寒稽古、10Kmマラソン大会など、過酷なイベントで、粘っこく頑張る姿勢が叩き込まれる。それらを一緒に乗り越えた友人は、自然と仲良しになった。この経験により、「別れ」は出会いの始まり、と考えるようになる。

1999年(平成11年) 【恩師との出会い】

中高一貫の私立巣鴨高校に進学。大学受験用に通い始めた進学塾「VERITAS」にて、勉強も遊びも一生懸命な心の恩師、永島先生と出会う。「お前は要領が良いように見えて、とても悪い。それを努力で一生懸命に補おうとしている。要領が良い奴は、後から伸びない。お前は自信を持って、今のスタンスを貫いていけ。」永島先生の言葉は、今でも時折思い出す。こんな先輩がかっこいい。こんな人になりたい。そう思える人に出会えたことが、自分の財産である。

2002年(平成14年) 【一生モノの思い出】

東京大学理科Ⅰ類に入学。物理学を志して入学するも、周囲との温度差を感じ、方向転換。サークルで合唱活動に精力を注ぐようになる。特定のコミュニティに所属するのは苦手だったが、先輩・同僚・後輩にも恵まれ、大人数で一つ曲を作り上げる楽しさを満喫する。「時間はあるが金は無い」学生の特権を利用し、お金をかけずにどれだけ楽しいことが出来るか?千葉県一周自転車旅行や、青春18貧乏旅行を実施。「苦行を積んだ分だけ、後に得る楽しみは大きい」という普遍的な価値観と、一生モノの思い出と友人を得る。大学3年時からは、工学部システム創成学科に進学。とにかく新しいことがしたい、と、設立4年目の若い学科に進学。勉学一辺倒だった自分が、ビジネス的な考え方に出会う。大学院進学をせずに就職を決断したのは、この学科で出会った友人の影響が大きかった。卒業論文では、環境とビジネスの中間領域に興味を持ち、自然環境の貨幣的価値評価について研究を実施。研究対象が干潟だったこともあり、潮干狩りなどに勤しむ。結果、出来上がった論文が、「文学的に素晴らしい」というわけわからない評価を受け、謎の学会表彰を頂く。

2006年(平成18年) 【仕事の意義、組織の喜怒哀楽】

「これからは研究者も営業力がないとダメだ。食いっ逸れる」という、根拠も無い確信を胸に、広告会社に就職。「考えながら行動する」という大の苦手分野を克服すしようと企む。熊本に異動となり、求人広告の営業を経験する。過酷な気候の中で、毎日毎日飛び込み営業。自分が扱うメディアによって、人と人が出会う、その社会的影響力に身の引き締まる思いをする。また、仕事以外にも美食・温泉等、学生時代には触れることの出来なかった経験を多くし、人生を豊かにするいくつかの価値観を得る。東京への帰還し、考える業務に従事営業一辺倒から企画業務にガラリ転換。日本全国にまたがる大所帯を舞台に、楽しく強い事業の作り方を、当事者として体感。金の流れ、人の流れ、感情の流れを経験。大規模な組織統合と、100年に一度の大不況。日々を過ごすことは決して楽しいことばかりではないが、組織としての悲喜交々を目に焼きつけ、今後の自分の糧とできるよう、精進の日々を過ごしている。

2010年(平成22年) 【どん底からの再スタート、尊敬できる先輩】

未来を見据え、今出来る最大限をことを企画・推進をしていく力を身につけたいと、自らの意思で異動。異動先の部署の先輩方の前で、全くこれまでの経験が通用せず、自身の実力不足を痛感し、いちからやり直しをすることに。このタイミングで上司となった先輩に「考える」とは、「推進とは」、「成果」とは、等、徹底的に基礎的な思考と実践の指導を頂く。すぐには成果が出づらい訓練ではあったが、尊敬できる先輩に追いつきたい、追い越したい、と地味な筋トレを重ねること3年。一つの事業の戦略策定から実行推進までを一貫して担当する部署を預かる経験を積むことができた。「やりたいという強い思いがあれば、正しい努力を継続することで必ず結果がついてくる」という信念を持つ貴重な原体験となった。一方で自身の苦手にする分野が明確に。。。

2013年(平成21年) 【未来に向けた採用】

U.C. Key.イノベーション、プログラミング、楽しい仕事

そんなこんなで現在に至るわけであります。

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